大阪の林先輩と一緒に、黒澤先生の墓参りへ行ってきた。
黒澤先生がいなければ、林先輩との出会いは確実に無かった為、まさに黒澤先生が原点でもあるから。
林先輩は現在、大阪では多くの事業を手掛けて大成功されている先輩であり、既に30年近くの親交がある本当に親しい先輩であり、当時の黒澤先生の城西中野支部で出会って今に至る。
大阪と埼玉から東京に出てきた際に、当時18歳の俺と、20歳の林先輩が極真空手を通じて出会った。(林先輩は19歳の時に城西中野支部に入門していた為、年齢も空手での上下関係も、最初から必然的に先輩後輩の間柄となり、出会った瞬間から親しくして頂いた経緯がある)
先生や先輩との出会いがなければ、自分自身は、極真空手や格闘技を続けていられなかっただろうと断言が出来るし、当時、何の当てもなかった俺は、いつ地元埼玉の仲間達の元へと逆戻りしてしまってもおかしくない日々を過ごしていて。
極真空手を通じての、黒澤先生や林先輩との出会いは衝撃的でもあったし、自分自身はまだまだ若い盛りで、有り余るエネルギーを極真空手の稽古にぶつけながら、日々とにかくフラフラする気持ちや、まだまだ何かをして暴れたい気持ちを、本当にひたすら極真空手の稽古で発散しながらも自分自身を軌道修正しつつ、年月を掛けて、次第に当時の状況を断ち切る事が出来て、時間を経て今現在に至るまでに繋がって来れたから。
成人しても尚、なかなか真っ当になる事の難しさを本当に痛感しながら。
それらの時間を経て、後々、城西世田谷東支部の田口支部長の元へと御挨拶に行く事となる。
黒澤先生に、今の自分自身の気持ちを話し掛けながら手を合わせてきた。
毎年、絶対に欠かしたらいけないし、生きている間と、行ける状況であれば毎年必ず行き続けると決めている。
林先輩は、黒澤先生が亡くなられた2017年以降は、この数十分間の為だけに毎年必ず、地元大阪から一人で東京まで足を運ばれている。

2022/3/24
