昨日、土曜日の深夜、昔の生徒達と会えた。
20人以上で、新年会で集まっていた彼らだが。
大人になった、池田拳士郎君、儀保翔馬君、川鍋トシ君。(漢字が間違っていたら、すまないが)
彼らは今年、同じく先日、成人式を終えた石田竜也君の同世代達であり、池田拳士郎君、儀保翔馬君は、幼年部時代から長きに渡り、東大和道場で空手を習って来た生徒達だ。
東大和へ来た時に、彼らは当時、中学1年生だったかと思う。(多田将太朗君、布田大樹君が当時、中学2年生だった)
池田兄弟、儀保兄弟も本当に可愛かった記憶があるが、彼らとの出会いは空手を指導したのが最初。
池田拳士郎君の弟の、池田淩祐君が、当時5年生。(永吉美優さんと同期の同世代だったかと思う、多分、合っているはず…ああ、一個下だ彼は)
儀保翔馬君の弟の儀保恭祐君が、確か当時、小学3年生だっただろうか。
全員、とにかく可愛いと思えた事と、心底…彼ら一人一人の空手での可能性と、一人一人の個性にも、とにかく彼らに惹かれたのが一番最初。
【ここで彼らに空手を教えていきたい…】
そんな感情に駆り立てられた。
激しく感情を揺さぶられる、出会いでもあった。
東大和道場へ来て、彼らと接して最初に感じたのは、自分自身の幼少期を思い出すかの様な懐かしい気持ちになった事。
それとは関係はないが、東大和市は田舎だな…とも感じた。
当時、2010年の、2月か3月だったかと思うが、東大和市は、都心とは明らかに気温が違う…
凄く寒かった記憶がある。
それは今も感じるが。
そんな思い出も沢山あるが、夕べ…
『…お疲れ様です! お久しぶりです!!』
別の部屋にいた、池田拳士郎君、儀保翔馬君、川鍋トシ君が、満面の笑顔で話し掛けに来てくれた。
何故か最近、常に気になっていた…彼らの弟の儀保恭祐君、池田淩祐君の話しも、たくさん聞く事が出来た。
数年前に、ほんの少しの期間ではあったが、儀保翔馬君、池田拳士郎君の紹介で、空手を習いに来ていた川鍋トシ君。(センスも抜群にあった)
成人した彼らを見れて、嬉しかった。
実際に話をして接すると、一人一人、本当に可愛らしい素直な生徒達でもあり、幼い時期から武道に携わり、厳しい勝負の世界を経験していたり、彼らにとっても、生きる上でも、空手を習っていた経験は、物凄く貴重であり、大きな価値が伴う物だったと常に感じている。
実際にそうだなと思うし、それを感じる。
また、彼らの仲間で、以前に道場に来てくれた子供達も挨拶に来てくれたりしたが、素直で可愛いなと思う。
成人した彼らが集まり、酒を浴びる様に飲んではいても、実際に会えば、素直であり、きちんと礼儀正しくも出来る。
10代の男の子達は、ヤンチャでも全然良い。
一生懸命に生きているなら尚更良い。
彼らが本気なら、いくらでも腹を割って話せる事は本当に沢山ある。
もしも…彼らがまた、それに懸けたい気持ちや、どんな理由でも良いが、極真空手を実際に本気でやりたいなら来たら良い。
自分自身が知っている事は、いくらでも彼らには教えられる。
いつか本当にやりたいなら、いつでも来たら良いと思う。
今現在、どんな状況や環境にいても、後々に、意味のある物へと、自分自身で変換をさせて、それを省みながら、生きる上での意気込みに変えられるなら、必ず意味はあるよと。
どんな生き方をしているか、どんな形でも真剣な気持ちで接してくれた若者には、同じ様に真剣な気持ちで返したいと常に思う。
また極真空手をしに来たら良い。
一人一人と実際に話をしたり、彼らの目を見ると、彼らなりの今現在の真剣な生き方をしている成年達ばかりだ。
俺自身は、中学校を何度も変わり、実際に中学校の卒業を何とか出来た様な状況で、勿論、高校に通うどころでも無かったし、自分自身も高校へ行く気も更々無かったのだが、中学2年生の頃から学校には実際に通っていない。
だが、それは、今の俺の生き方や人生には何ら悪影響も無いし、むしろ、それで良かったなとも自分では思う。
一生懸命に何かに必死に生きたら、学校の勉強の成績や、実際の学歴は、自分自身には必要無かったなと本当に言い切れる。
ただ、生徒達には、きちんと勉強もしなさい、するべきだし、皆はやれば出来るし、やるべきだと、いつも彼らには話してはいる。
高校や大学の先生は、どんな様子かも勿論解らないが、少なくても小学校や中学校の先生には、話せない事実や、生き方を、俺自身が自分の生徒達には話していけたら良いし、実際に感じてきて、実際に経験をして知っている事を、彼らの目線で話してあげられたらと思うが、それが本当の意味があるのか無いのかは別としても、今の彼らにとっては、何かしらの意味のある話をしてあげたいなと常に感じてはいる。
彼ら一人一人が、今の現状を一生懸命に過ごせば良いし、会いに来てくれたら、若者達とは腹を割り、話が出来たらと思う。
どんな生き方でも真剣なら、また自分自身で色々な事を常に感じて、考えていたら、後々には必ず意味があるはずだ。
あとは、四六時中、悩まないといけないだろうし、試行錯誤をして、ずっと勉強したい気持ちがあれば良いと、本気で思う。
自分自身が、何かを常に苦悩しながらも、それに対しての努力をしながら、彼らが、いざ、また空手をやりたいと、本気になれば、待っていてあげたいなと思う。


