東大和道場での指導の意味。

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月曜日の少年部達は皆、必死に頑張ってくれました。

立川道場からはMちゃん、R君の姉弟が出稽古に来てくれました。 (彼らは自分の昔いた旧城西中野支部【黒澤道場】時代の大先輩でもある、現在は立川道場の根本支部長の生徒さん達です)

東大和道場で自分が少年部から一般部の皆様方に指導している空手は試合に向けた稽古だけではありません。

普段から観ている方々や、実際に感じている方々には解る部分です。

自分は道場に稽古に来てくれている一人一人全てにとっての、意味のある空手になる事を常に考えて指導をしています。

それを ひたすら考えています。

型がやりたい、基本稽古がやりたい、移動稽古がやりたい、ミットだけ、組手だけやりたい、タッチ鬼がしたい等。

様々な要望がありますが、逆に誰か一人だけを満足させる指導はしませんし、様々な全ての状況や、生徒達の今の実力や、性格を自分なりに判断しながら行っています。

【東大和では試合に向けた稽古しかしない】

これは正直、自分からすると正確な答えでも何でも無い物です。

自分は毎日 指導をしながら、東大和道場の全体の発展や、盛り上がりを常に考えています。

では、型、基本、移動稽古はまるでやらない道場なのか?

それらは普通に稽古の中、指導の中でもやります。(時期により稽古では様々な内容に別けるようにしています)

それをしていない生徒達が型試合に出て勝ってはいないですし、昇級して帯の色も変わってはいません。

生徒達には東大和道場での稽古、自分が指導する空手の稽古の中で、様々な経験をして貰いたいと考えています。

少年部、中高生、一般、壮年の全ての人達を強くはしたいですし、それも当然、目的として指導もしています。

そこには強烈な自分自身のイメージがあり、それが、皆が行う稽古への姿勢にも確実に働いている部分もあり、自分自身も確固たる信念を持ちながら指導をしています。

今の東大和の少年部全体、一人一人の生徒達にも自分自身が確実に思い描いたイメージが、彼らを動かして、積み重ねている部分でもあります。

競技の為だけであれば、スポーツの習い事であったり、ジム通いで良いわけです。

東大和道場の空手の稽古には【弱い自分と向き合う気持ち】

そこを最大のテーマとして自分が毎日、生徒達に空手を指導すると共に、自分自身もそれをテーマに長年、空手を続けてきた信念があります。

今日の少年部達へのテーマには【余計な事を考えずに今、目の前の事を全て、ひたすら一生懸命に稽古をする】【気付いたら全てが終わっている】

始まる前の黙想時と稽古を終えた後に、皆にそれらも含めて色々な話をしました。

それが今の東大和道場です。

皆、熱かった。